PROFILE
プロフィール詳細
60秒で分かる
広瀬ゆうと
Profile in 1min
広瀬ゆうとを簡単にまとめました。これを読めば広瀬ゆうとの生い立ちがわかります。
広瀬ゆうとの略歴
Personal history
松戸市出身
1996年7月7日生まれ
学校法人大橋学園あさひ幼稚園
松戸市立松飛台第二小学校
松戸市立常盤平中学校
千葉県立我孫子高等学校
拓殖大学政経学部法律政治学科
岡三証券株式会社
第21期 松戸市議会議員
- 現在の役職・所属
- 会派:市民クラブ
- 建設経済常任委員会 委員
- 広報委員会 委員
- 議会表彰委員会 委員
- 保有資格
- 証券外務員一種
- AFP(ファイナンシャルプランナー)
- プライマリーPB(プライベートバンカー)
- 日本サッカー協会公認C級コーチライセンス
- サッカー
- 開始(4歳)
- FCダム(幼)
- 松飛台SC(小)
- FCクラッキス(中)
- 我孫子高校サッカー部(高)
- サッカースクール コーチ(大学生時代)
- テニス
- 紙敷テニスクラブ
松戸市で生まれる
松戸市串崎南町で生まれ、大橋学園あさひ幼稚園に入園。
4歳(年中)から園内クラブのFCダムに所属し、サッカー漬けの日々が始まります。
小学校は松飛台第二小学校に入学。
校庭が広い学校だったのでいつも外で遊んでいました。
また、入学と同時に幼馴染の誘いがあり、地元クラブのまつひだいSCに所属しました。
サッカーから
多くのことを学んだ
学生時代
4年生の頃からは、責任ある「10番」を背負い、キャプテンを務めました。
身体が小さかった私は、どうすれば上手くなれるのか・どうすれば勝てるのかなど、「自分で考える」ということ、そして何よりも「真剣に楽しむ」ことの大切さを学びました。これは今でも生きる上でのポリシーとなっています。
中学校は、引っ越しの関係で小学校とは少し離れた常盤平中学校に入学。
三年生の頃は学級委員を務め、素敵な友人に囲まれ卒業することができました。
サッカーでは部活動ではなく、クラブチームであるFCクラッキス松戸に所属し、関東大会などを経験。素晴らしい指導者の方々とチームメイトに恵まれながら、妥協せず、辛いことを率先してやることや、相手を思いやることなど、技術面だけでなく、サッカーを通して人としての在り方を学ぶことができました。
高校では、初めて松戸市を出て県立我孫子高等学校に入学。
高校時代が一番サッカーに没頭した日々でした。休みの日でも学校に行き、チームメイトと自主練をする日々。副部長を務め、組織の引っ張り方やまとめ方など、リーダーシップを養う素晴らしい機会となりました。
また、大学受験では一般入試での進学を決意し、部活動と学業の両立をしました。当時は辛かった記憶がありますが、この経験があったからこそ今の自分がいると、貴重な時間であったと思っています。
政治家になることを
決意した大学時代
大学は拓殖大学政経学部法律政治学科に入学。
卒業後の進路になった証券業界や議員を目指すきっかけになった政治・経済を学ぶと同時にアルバイトにも励みました。
この時、政治学を学んだことで、「自分自身が政治家になるんだ!」という思いが強くなりました。
また、大学2年生の時に大学の研修制度で、環境先進国であるドイツに短期留学に行き環境問題について学びました。環境問題は、持続可能な街づくりをしていく上で欠かせない問題ですので、当時の経験も活かし政治家としても取り組んでいきます。
アルバイトでは、サッカースクールのコーチとして3歳から12歳までの子供を対象に指導者として活動しました。指導する難しさを学ぶと同時に、子供たちのパワフルな姿を見て、私自身も元気をもらっていました。この時、子供たちが笑顔で元気に過ごしていけるような街づくりをしていきたいと思いました。
証券会社から市議会議員へ
政治家になりたい思いはあったものの、25歳からしか出馬できないこともあり、それまでは社会人として多くのことが身につく業界に行こうと思い、興味のあった証券業界へ。
政治、経済の知識はもちろんのこと、営業職ということもあり、社会人としてのマナーや、人との関わり方など、人間力をとても育てていただいた時間でした。
社会人3年目を終えるころ。新型コロナウイルスの流行もあり、大好きな松戸市を元気にしたい。その思いから、同年11月に行われる松戸市議会議員選挙への立候補を決意。
歴代最年少で2312票のご支持をいただき無所属で初当選。